解釈タイムが訪れました

自分のことばかり考えていても意味がないし飽きた。残りの人生に良い影響を与えないことを続けても幸福になるどころかむしろ不幸になっていく。最近はもう気持ち悪いものを見たくなるような感覚で自分のことを考えている気がする。嫌な感情は病みつきになるけどこの一瞬の快楽は自分を不幸にするばかり。嫌でも1mmでも毎日積み重ねなければ精神が死んでいく未来が見える。
鉛筆に価値が出るのは、ただの物質としての鉛筆をものを書く道具である鉛筆として私が使うからである。人間にも同じことが言える。ただの肉体としての私を、私が使うことで価値を与えられる。あるがままの存在であるだけでは自分を許すことができないみたいだし、その辺りの価値観を変えるのは非常に困難なので、自分を道具とみなして使うほうがよほど楽な道だと推測する。

 

昨日玉置浩二が「ふたりでいるためにひとりきり~」みたいな歌を歌っているのをみて、解釈タイムが訪れた。歌詞の前後もよく理解していないので玉置浩二の意図は無視するけど、今の私にはそのフレーズが、自分を満たすための行動ばかりしているとふたりでいられないから自分の手綱は自分でひいているという意味にとれた。
デメリットを背負ってまで自分を満たし続けてくれる一人なんていないから、自分は自分で満たす。それができていないなら、未だに親離れの最中といえるかもしれない。